音素(Phoneme)とは?(2)応用編

今回は、前回の続きをやりつつ、音素の概念をどう人工言語創作に応用するか?と言う話をします。

 

前回は音素という概念を導入しましたね。どの言語にも音声があるなら音素はあるわけですが、ある言語における音素の一覧を、音素目録(Inventory)と言います。インベントリと横文字で表記することもよくあります。例えばハワイ語の場合、音素目録は以下のようになるそうです。

 

母音音素 /a/, /e/, /i/, /o/, /u/ 

子音音素 /h/, /k/, /l/, /m/, /n/, /p/, /w/, /ʔ/

 

言語学の研究の場合、国際音声記号(International Phonetic Alphabet, IPA)の一覧表のように、調音位置と調音方法にあわせて並べた表にすることが多いと思います(調音位置とかは音声学を解説する機会があればそちらで書きます。例えば唇を使う[p]なら両唇音という具合です)。例えば英語の子音の音素目録は以下のように書きます。元ネタはEdwards (1992)という本ですが、画像は別のウェブサイトから引用しています(https://www.asha.org/uploadedFiles/practice/multicultural/EnglishPhonemicInventory.pdf)[2020/05/17閲覧]

 

 

https://www.asha.org/uploadedFiles/practice/multicultural/EnglishPhonemicInventory.pdf

 人工言語を創作する場合、まずはこの音素目録を作るところから始めることが多いんじゃないかなと思います。では、どのように作れば良いでしょうか。大きく分けて二つ方針があると思います。

 

(1)自然言語と同じような体系を作りたい。

(2)自然言語にないような体系を作りたい。

 

 (1)の方針で作るにしても(2)の方針で作るにしても、まずは「自然言語ではどのような音素目録がありえて、どのような音素目録がありえないのか」を知る必要があります。このような、「世界中の自然言語にはどのような体系がありえて、どのような体系がありえないのか」とか、「世界中の自然言語にはどのような共通性(あるいは相違点)があるか?」という問題を研究する言語学の分野を言語類型論(Linguistic typology)と言います。

 (系統関係によらない)言語の分類というと、真っ先に思い浮かぶのは屈折語(Fusional language)、膠着語(Agglutinative language)、孤立語(Isolating language)という分類ですよね。日本語は膠着語だとか。これも確かに言語類型の一種なのですが、こういう「分類する」タイプの類型論は19世紀のものです。20世紀の言語類型論は「全ての自然言語に共通するもの、普遍性を探す」という方向に行きます。でも普遍性というものもあんまり「必ずこうなる」みたいなのは見つからないので、最近ではまた「多様性を記述する」方向に舵を切り直したという感じの印象を受けます(個人の勝手な印象です)。

 人工言語創作に役立つのはこの「20世紀の言語類型論」の知識です。「必ずこうなる」というタイプの絶対的普遍性(Absolute universal)はあまりないのですが(あったとしても「鼻母音が存在するのに鼻母音ではない母音が存在ない言語はない」みたいな「そんなん全然驚きじゃないわ!」と言いたくなるようなのだったりして)、「全ての自然言語とは言えないけどほとんどの言語ではこうなる」という傾向や、「こういう特徴があるならこういう特徴を併せ持つことが多い」という含意的普遍性(Implicational universal)は割とあって、特に傾向と含意的普遍性をいくつか知っておくと限りなく自然言語に近い人工言語を作ることができます。これは音韻論に限らないので応用編を書くたびごとにできるかぎり紹介しようと思います。では、いくつか有名な例を見ていきましょう。

 

(a)絶対的普遍性(と言われる)例あるいは絶対的に近い普遍性

・どの言語も/a/, /i/, /u/の三母音あるいはこれに近いものをもつ(ほんとかなあ?)

・四母音体系なら/a/, /i/, /u/, /e/または/a/, /i/, /u/, /ɨ/である(ほんとかなあ?)

・五母音以上の体系なら/o/か/ɔ/がある(それっぽい)

・鼻音がない言語はほぼ存在しない。

 

(b)通言語的な傾向や含意的普遍性の例

・たいていの言語には/p/, /t/, /k/がある

 自然言語っぽい人工言語創作の基本は無声破裂音を加えることだと言えるでしょう。自然言語っぽく作るなら、無声破裂音だけにするとか、/b/のような有声破裂音を加えていくとか、/kʰ/のような無声有気破裂音を加えていくとかの選択肢があります。両方加える手ももちろん考えられます。音素として加えずに/p/の条件異音として[b]を出すとかいうやり方もできます。

・母音のインベントリは対称的になりやすい

 IPAの母音の表を念頭に置くとわかりやすいです。あの母音の表のどこかに音素が集中して配置されるということは稀だということです。表で考えると、大体それぞれの音素の距離が均等になるような配置になっていることが多いです。/a/, /i/, /u/, /e/, /o/の五母音体系とかすごく綺麗に散らばりますよね。この体系を持つ言語が多いのはこの配置の綺麗なところに由来します。同着で/a/, /i/, /u/の三母音体系や、/a/, /i/, /u/, /e/, /ɛ/, /o/, /ɔ/の七母音体系なども考えられますね。

・摩擦音が一つしかない場合、その摩擦音は/s/であることがほとんど

 反例はハワイ語で、上で書いたように/h/だけですね。例えば摩擦音が/ʕ/しかない体系にしたりすると、自然言語的でない感じが出ます。

・前舌母音は通常非円唇化母音で、後舌母音は通常円唇化母音である。

 要するに、/y/, /ø/よりも/i/, /e/の方がよくある母音で、/ɯ/, /ɤ/よりも/u/, /o/の方がよくある母音だというような話です。ただ、結構身近に例外はあって、日本語の/u/はむしろ/ɯ/に近い感じがしますし、中国語(普通話)は単母音としての/e/がないのに/ɤ/がありますね。

・破裂音の場合、無声破裂音の方が有声破裂音よりも存在する可能性が高い。

 /p/, /t/, /k/がないのに/b/, /d/, /g/がある体系とか、無声が/p/しかないのに/b/, /d/, /g/が全部ある体系は自然言語っぽくない体系だということです。逆に鼻音や流音の場合は有声が基本です。無声鼻音があるのに有声鼻音がないという体系は自然言語には存在しないはずです。

・無声の破裂音の中で最もある確率が高いのは/p/ 

 これも絶対ではなく、例えばアラビア語には/p/がありません。外国語の/p/を借用する時には普通/b/になるはずです。ヤーバーニー。

・有声の破裂音の中で最もない確率が高いのは/g/

 例えばウクライナ語やチェコ語などには(外来語を除けば)/g/がありません。Pragueはチェコ語だとPrahaですよね。人工言語の場合、/b/, /d/がないのに/g/だけあるような体系を作ると自然言語っぽさが薄れます。逆に/b/, /d/, /g/が揃っている体系とか、/b/, /d/があって/g/がない体系は自然言語っぽいです。

・放出音の中で最もある確率が高いのは/k'/

 逆に一番ない確率が高いのは/p'/だと言われています。

・入破音の中で最もある確率が高いのは/ɓ/

 放出音とは逆ですね。

 

このくらい見ておけばもう十分だと思います。では人工言語創作に応用した例を見てみましょう。

 

まず自然言語っぽいやつで。私の言語はこういう感じの音素目録を持っています。

 

母音 /a/, /i/, /u/, /e/, /o/

子音 /p/, /t/, /k/, /ʔ/

   /b/, /d/, /g/

   /f/, /s/, /š/, /h/

   /v/, /z/, /ž/

   /r/, /l/, /m/, /n/, /y/, /w/

 

 あまりにも普通すぎて涙が出てきますね。ただ、自然言語として見るとやや珍しめの点を一つあって、/v/と/w/が同時に存在します。一応英語に両方あるからちょっとピンとこないかもしれませんが、探して見ると案外例が少なかったりします。

 このうちの/š/と/ž/は音素表記にIPA(所謂発音記号)を使わなくてもいいということの一例です。実は作り始めた当初はもっとアラビア語みたいに口蓋垂とか咽頭とかの摩擦音や鼻音をてんこ盛りにしていたのですが、あまりにも発音しづらくてやめました。与格の接辞が-ɴuɸとか。

 

逆に全然自然言語に見えない例を考えてみます。ここでは試しに「舌がない宇宙人の言語」を作ってみましょう。声帯と口蓋帆(鼻に空気がいかないように塞ぐ器官です)と歯と両唇だけで出せる音を見繕って、/p/みたいな音素を外して、など色々遊びながら作ってみると、

 

子音 /ʔ/, /h/, /ɦ/, /f/, /v/, /ɸ/, /β/, /m/, /ɱ/, /m̥/, /ɱ̥/, /ʋ/,

母音 /ə̃/, /ɵ̞̃/

 

 こんな感じになりました。違和感すごい。これを適当に組み合わせて、

ɱvə̃f ɵ̞̃mɵ̞̃ʔ hə̃ʋ!「私は宇宙人だ!」とか、どうでしょう。少なくとも人間の言語には聞こえないものができました。

 

 ちなみに、先ほどの普遍性と照らし合わせてみると、/p/, /t/, /k/がない、/s/がないのに/f/, /v/, /h/みたいな摩擦音がいくつもある、鼻母音でない母音がない、/a/も/i/も/u/もない…など、普遍性の逆を行っていることがわかります。自然言語に近づけるにしても自然言語に見えないようにするにしても、まずは自然言語がどういうものなのかを知っておくと便利だということがお分かりいただけたでしょうか。

 

 今回は以上とします。次回は「国際音声記号って何?」という話(調音音声学の基礎の導入)をしようと思います。本来はこっちを先にするべきでしたね。もし読んでくださった方がいたら感謝します。お疲れ様でした。

 

補足

 

「この音素があるならこの音素もある」系の含意的普遍性はパッと見た感じこの論文が結構詳しく書いています。極限まで突き詰めるならこういうのを参考にするといいと思います。最近はオープンサイエンス化が進んでいるので論文名と雑誌名をGoogleで調べれば何かしらの形で読めることがほとんどです。Google Scholarで調べると直接pdfに飛べるので便利。

Pericliev, Vladimir (2008) Implicational phonological universals. Folia Linguistica 42(1):195-225.