語学学習:(2)リグ・ヴェーダ8.91.2

今回は語学学習の記事ということで、またリグヴェーダの続きを読んだメモを置いておこうと思います。例によって全く言語学入門とはいえませんが…。

 

asáu yá éṣi vīrakó gr̥háṁ-gr̥haṁ vicā́kaśad /

imáṁ jámbhasutam piba dhānā́vantaṁ karambhíṇam apūpávantam ukthínam //8.91.2//

 

韻律はやっぱりpaṅkti。特に韻律的に面白いところはなし。奇跡的ともいえる印欧語学的な内容の濃さだった8.91.1と比べるとそこまで興味を惹かれるものはない。

 

「輝きつつ家々を行く勇者であるあなたは、この歯で絞った[ソーマを]飲め。穀粒を持つ者、粥を持つ者、菓子を持つ者、賛歌を持つ者[であるソーマ]を。」でしょうか。ソーマを歯で搾るというのは調べてみたのですがどうもここにしか出てこないようです(確信はないけど)。

 

サーヤナ注の語釈を見てみると、「それ本当か?」と言いたくなるレベルまで語を補っている箇所があって面白いです。

(...) gr̥haṁ gr̥haṁ = yajamānagr̥haṁ prati somapānāya (...) dhānā = bhraṣṭayavāḥ (...) apūpavantam = purodāśādisahitam (...)

「(...)家々を、すなわち祭主の家にソーマを飲みに(...) 穀粒、すなわち地に落ちた大麦 (...)菓子をもった、すなわちプローダーシャ(麦か米のおだんご)をはじめとするものを伴った(...)」

 

それぞれの語について:

 

√kāś: etym. PIE *kʷek' (?) リグヴェーダでは強意動詞形のみ。I類の活用が出てくるのはŚBとJUBが最初期の例。Schaefer (1994: 102-104)によれば本来の意味は「見る」らしいが、Mayrhoferはsichtbar werden, erscheinenと書いている。prakāśa-「明るい、光」やavakāśa-「空間、機会」等と同一語根。

 

jámbha-: etym. *g'ombʰo- cf. OCS зѫбъ. dat-と何が違うのだろう?と思ってMayrhoferを引いてみると、dat-がZahn、jambha-がGezähn, Dual (beide) Zahnreihenと書いてある。

 

dhānā́-: etym. Mayrhoferによれば*dʰoH-neh₂ 「穀物」から。cf. Lith. dúona, Toch. B. tāno. リトアニアduona「パン」と同語源だと見てびっくりして調べてみたらDerksenも同じことを書いているのでどうやら本当らしい。さらによく調べてみると、このdhānā自体もどうやら「炒った穀粒」と解釈するほうがいいものらしく(RV 3. 35. 3; 7, 10.28.1にインドラに捧げる「食べ物」として登場する、「穀粒」には既にdhānyaという語がある)、そう考えるとduonaと同語源というのも納得だなあ。

 

karambh-ín-: 'mit Grütze versehen, vom Opfertrunke des Indra.' 語源不明。このkarambhaとは、穀粒を粉にして少なめのミルクで練ったものらしい。

 

apūpávat-:こう言えばソーマのことらしい。語源は一応Mayrhoferに候補が書いてあるけれども信憑性はちょっと微妙。

 

ukth-ín-: uktha-はもちろん√vacから。接尾辞-tha-による派生はAiG II 2にあり、uktha-はS. 718にある。cf. Av. uxδa-.

 

前回の箇所に比べると物足りない感じはしますが、今回はこんなものでしょうか。とりあえずこれで公開しておいて、何かあったら後で書き足すことにします。